明日への指針「心に生きる」

日本には、古来、伝統的な行事、祭りがあります。

その一つに、先祖の霊を祀る行事があります。
たとえば、
◆岐阜・郡上「郡上おどり」。
起源は、江戸時代中期。日本三大盆踊りの一つとされています。
◆京都・宮津「灯篭流し花火大会」。
起源は、約四百年前、織田信長の時代。
ひとびとが、先祖の霊をなぐさめるため、燈籠に灯をともし、宮津湾に流したのが始まりです。
◆四国・徳島「阿波踊り」。
起源については、諸説あります。
徳島藩祖・蜂須賀家政が天正一四年(一五八六年)に、徳島入りし、藍、塩などで富を蓄積した頃からと言われています。
そのほか、各地域で伝統的なお盆の行事が行われていますが、有名なのは、京都の五山送り火ではないでしょうか。
◆京都「五山・送り火」
起源はそれぞれ違い、江戸時代前期、平安時代、室町時代に行われていたと言われています。
ご先祖をお迎えし、しばらく留まっていただき、やがて戻る時のために、八月十六日、京都の五山に点火します。
一般的には「大文字焼き」で知られていますが、地元では「送り火」と言います。

  1. 閣寺の裏山、如意ケ嶽に点火する「右大文字」
    室町時代中期、足利義政が始めたと言われる。
  2. 金閣寺大北山の「左大文字」
    起源は定かでない。
  3. 松ヶ崎西山・東山の「妙法」
    「妙」は鎌倉時代末期。「法」は江戸時代中期。
  4. 西賀茂船山の「船形」
    平安時代、天台三代座主・慈覚大師円仁が、八四七(承和一四)年、唐留学の帰路で暴風雨にあったが、念仏を唱え、無事帰国できたことから、船を型どって送り火を始めたと伝えられる。
  5. 嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」
    平安時代初期、弘法大師が石仏千体をきざみ、開眼供養を営んだ時に点火されたとも、鳥居の形から、愛宕神社が関係しているとも言われている。

◇       ◇
松ヶ崎西山と東山に点火される「妙」「法」について。
日蓮大聖人は、七百三十六年前、弘安五年十月十三日、多難のご生涯を閉じられました。
ご遷化五日前、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六人を選んで本弟子とさだめ、後事をたくしました。
二日前には、日朗の弟子、経一丸(後の日像菩薩)を枕辺に呼び、
「わたしの死後、京都にのぼり、御題目を流布せよ。
願わくば朝廷にあがり、天皇陛下に御題目を下種せよ」
と、命じられました。経一丸、十三歳の時。
ご遺命を受け、二十四歳の時、京都にのぼり、布教活動に邁進されました。その時の拠点が、現在の京都北東に位置する、松ヶ崎という所でした。当地で法華経を説いた結果、村をあげて御題目に帰依したのです。
以来、八月十五日・十六日の夜、「南無妙法蓮華経」のお題目に節をつけて繰りかえし踊る習わしとなりました。
この踊りを「題目踊り」と言い、さらに十六日、裏山に「妙法」を点火するという行事とともに、今日に至るまで続いています。題目踊りは、七百年以上続く、日本最古の盆踊りとされています。
ちなみに「妙」は、松ヶ崎の村で、日像菩薩が、西の山に向かって「妙」の字を書き、それをもとに村人が山に「妙」を型どり、点火を始めたのが起こりとされています。
「法」は、約三五○年前の江戸時代中期から行われたとされています。当時、西の山にしか送り火がなかったため、日良上人が、東の山に向かって「法」を書き、これを村人が山に型どり、火を灯したのが始まりとされています。
京都五山の送り火は、それぞれの地域の人たちが中心となり、保存会を組織しています。保存会の並々ならぬ努力があっての、八月十六日の送り火です。
日蓮聖人のご遺命を受けた日像菩薩でしたが、ついに天朝にお題目を伝えることは出来ませんでした。
七百年後の昭和二十一年九月二十三日、会祖日現聖人は、皇居に召され、昭和天皇・皇后両陛下に対して、お題目を唱えられたのです。すごいことです!
京都五山の送り火といい、各地で行われるお盆における、先祖をうやまう、日本の素晴らしい伝統、風習です。
◇         ◇
IMG_0309九十過ぎのお婆ちゃまから、手紙をいただきました。
「昨年、主人に先立たれました。時がたてば悲しみがうすれると言われますが、なかなかうすれません。時がたつほどに、悲しみが増すような気すらします。
若い時なら連れ合いを亡くしても、体力、気力があって、何とか耐えられるのかもしれません。九十を過ぎて連れ合いに先立たれると、自分自身の老いていく辛さ、さびしさも重なって、より悲しみが増すのかもしれません」
とありました。
返事を出しました。
「お気持ち、よくわかります。でも、悲しんでばかりいたら、身体に障ります。ご主人も心配されますよ。
今、あなたに出来ることは、お題目を唱えて、ご主人のご冥福を祈ることです。いつまでも元気で、ご主人の分までも長生きすることです。
ご主人は、遠くに行ってしまったわけではありません。
あなたの心の中に、共に生き続けているのですよ。
あなたは決して一人ではありません。ご主人と二人で毎日を送っているのです。いつまでも悲しんでいると、ご主人もまた悲しむことになるのです」
以上、ご主人を亡くされた方との手紙のやりとりです。
◇        ◇
俳優の緒形拳さんは死の前、
「死ぬということは、人の心の中に生きるということ」
と、言われました。
お互い、何か事をなした時、亡き人の顔がふと浮かぶ。
「あの人がここに居たら、喜んでもらえるのに……」
と、さびしさを感じたりする。
間違いを犯した時、
「一体、お前は何をやっているんだ!」
と、怒られたり……。
失敗して意気消沈している時、
「大丈夫だよ。だれでも失敗はあるよ。がんばりなさい!」
と、なぐさめられ、勇気づけられる。
良きにつけ悪しきにつけ、その人を思い出すということは、その人が自分の心の中に生きているということではないでしょうか。
忘れないかぎり、その人とともに生きていると言えます。
忘れた時、その人は、心の中から消えます。これは、二度目の死と言えるかもしれません。一度目は、肉体の死。
二度目は、魂の死です。心の中に生き続けているかぎり、直接会えなくても、話せなくても、静かに耳をすますと、
「よくやったね!」
という優しい声が、きっと聞こえて来る。
なまけていると、
「こら!」
と、厳しく、叱る声が心に響く。
落ち込んだ時、
「がんばれよ!」
と、はげましの声。
祖父母、両親、兄弟、恩師、友人。先立たれた連れ合い、子供……。たとえ亡くなっていても、その存在を意識し心に描くことで、身を律し、戒め、勇気づけられ、違うことなく我が道を、歩むことができる。
そんな人がだれにでも一人や二人、いるのではないでしょうか。もし、心の中にだれもいないということならば、さびしい、悲しいことですね。たった一人でも、心の中に気にかかる人がいるということは、幸せです。気にかかる人に守られているとも言えます。
私たちには、心の中にだれにも増して、ご法さま、仏さまがおられる。お互い、ご法さま、仏さま、心の中の大切な人と、改めて向きあい、会話し、自らを振り返ってみたい。