明日への指針「花」

花の勤め

 自坊(獅子吼会)の境内に、樹齢八十年の桜が四本。毎年素晴らしい花を咲かせます。
 見事な満開の桜花ですが、人から愛でられる時は余りにも短く、あっけなく散ってしまいます。
 満開の時に強風や雨に降られようものなら、惨めなものです。
 もし桜の花に、私たちと同じ心があったとすれば、どのような思いで花を咲かせ、そして散っていくのでしょうか。
 一年頑張って準備をして、やっと咲かせたかと思ったら、つかの間の盛りで、あっけなく散ってしまう。
 桜は満足しているのか、あるいは悔いているのか。
 桜の花の心を知る由もありませんが、もし私が桜なら、決して悔いはしないでしょう。
 なぜならば、桜たちはたった数日間ではありますが、充分に花を咲かせることが出来たからです。
 精一杯生きたのです。
 多くの人々の心を癒やしました。
 満開に花開く、という自分の勤めを立派に果たしました。
 桜だけではありません。
 梅、椿(つばき)、山茶花(さざんか)、木蓮(もくれん)、躑躅(つつじ)、臘梅(ろうばい)、万作(金縷梅(まんさく))、山茱萸(さんしゅゆ)(やまぐみ)、鶯神楽(うぐいすかぐら)、山吹(やまぶき)、紫陽花(あじさい)、萩(はぎ)、果ては名も知れぬ花……。
 境内に春・夏・秋・冬と、色とりどりの花が咲きます。
 見えない土の中で、一生懸命根を張り、芽を出し、やがて花を咲かせるのです。
 花たちは、人に見られようが見られまいが、愛でられようが愛でられまいが、関係ないのです。
 冬、厳しい寒さに耐え、夏、日照りに遭いながら、雨、風に耐えて、不平も言わずに、ひたすら努力をし、咲かせ続けます。
 何故でしょうか。それが自分たちの勤めだからです。
 勤めを果たした花たちは、きっと満足して散っていくことでしょう。

後悔しない生き方を

 さて、私たち人間はどうでしょうか。
 人は、それぞれこの世で果たすべき役目を持って生まれてきます。
 人は、果たすべき役目、即ち少なくとも花を一つ持っているのです。
 大きな花、小さな花、はたまた名も知れぬ花。
 それぞれ持っている花は違いますが、確実に一つは、花の蕾を持って生まれてきているのです。
 名も知れぬ野の花、道ばたの花も皆、美しく咲かせています。
 私たちは、自分の持つ花を懸命に咲かせる努力をしなければなりません。
 いつ咲くか、それは分かりません。
 死の間際になって、漸く咲かせることが出来る場合もありましょう。それはそれで素晴らしいことです。
 しかし、咲いた花はやがて散る時がおとずれます。
 生あるものは必ずいつか散り、滅する時が来るものです。
 早い、遅いの差こそあれ、必ず散る時がおとずれますが、精一杯、花を咲かせるべく努力をした人、即ち、よりよく生きるために頑張った人には、悔いはないはずです。
 もっとも、お互いに完璧な人間などいないのですから、完璧な人生などあるはずがありません。
 ですから、如何に頑張っても、悔いを全く残さず旅立とうなんて、到底無理なことです。
 しかし、悔いのない最期を迎えたい、と日頃から意識して過ごすのと、全く考えもしないで、ただ、いたずらに過ごすのとでは、おのずから最期を迎えた時、差が出てくるのではないでしょうか。
 否、最期だけでなく、人生そのものが違ってくるのではないかと思います。
 たとえ失敗したとしても落ち込まず「失敗ではない、その時の必然なのだ!」と受けとめましょう。
 一見、失敗と見えることにも、絶対に得るものがあるはずです。
 逃げてはいけません。
 お互い、いざお迎えが来た時、少しでも悔いのない人生だった、と思えるように、日頃からより良く生きるべく努力をし、自分の持てる花を咲かせようではありませんか。
 どの花にせよ、人は必ず一つは、花の蕾を持っています。
 死を迎えて後悔するのは、花を咲かせなかったことにではなく、花を咲かせようと全力を尽くさなかったことです。
 いつの日か自分の花を咲かせ、心に悔いなく、顔いっぱいの喜びを得たいものです。

 

『生きるとは』―― 悩める人に届けたい34のメッセージ―― 「花」より