明日への指針「花のように」

必ず春が来て花が咲く

「冬来たりなば、春遠からじ」は、イギリスの詩人シェリーの有名な詩の一節です。

辛い時期を耐え抜けば、幸せな時は必ず来るという意味です。

春はもうそこです。やがて、一斉(いっせい)に色とりどりの花が咲き始めるでしょう。もっとも、春だけではありません。

夏には夏の、秋には秋のと、私たちのまわりには春夏秋冬、それぞれの季節にふさわしい草花が咲き誇り、そのどれもがたいへん美しいものです。こうした花々は、私たちの心に安らぎを与え、癒し、和(なご)やかにしてくれる素晴らしい存在と言えましょう。

この花のように、私たちも生きたいものです。

花のように生きるとは、どういうことか? 私たちにとり花は、様々な意味合いを持っているのではないでしょうか。

大きく分けて三つの意味が込められていると思います。

一つは、常に花のような美しい心を持ちなさい。醜(みにく)い争いや、嫉妬(しっと)の心を捨てて他の周囲の人々に優しさや、喜びを与えられるような人間になりなさい、ということです。

二つは、花にも色々な種類があり大きな花、小さな花、誰もが知っている花もあれば、名も知れず路傍(ろぼう)に咲く花もあるように、人間にもそれぞれ、己(おのれ)の分(ぶん)や立場のあることを弁(わきま)えなさい。各々(おのおの)の立場の中で、持って生まれた自分の花を、最大限に咲かせる努力を尽くしていきなさいということです。

三つは、花のように耐え、そして努力しなさいということです。 古歌に、

「踏まれても忍(しの)んでいこう福寿草(ふくじゅそう) やがて花咲く春にあうべし」

とありますが、どんな花でも一輪の花が咲き、開くまでには、一朝一夕(いっちょういっせき)、簡単なものではありません。

灼熱(しゃくねつ)の太陽に照らされる季節もあれば、風雨にさらされる時もあります。さらには、じっと雪の下で辛抱する時もあるでしょう。しかし、ただ単に耐えるだけでなく、どれもがしっかりと根を張り、大地から養分を吸収しながら成長し、来たるべき季節に立派な花を咲かせるのです。しかも、歯を食いしばって耐えている、というようには思えません。ひたすら春、花を咲かせることを己の勤(つと)めとして、淡々と……。

私たちの人生もまったく同様です。たとえいかなる苦しみや悲しみに出遇(であ)おうとも、決してそこから逃げ出さず、負けることのないようにしましょう。やがて訪れるであろう春の来ることを信じ、見事な花を咲かせられるよう、しっかりと耐え、かつ努力しようではないか、ということです。

「耐える」ことの大切さ

一生の中にあって、耐えなければならないことは沢山あります。しかしそれらは私たちに与えられた試練と受けとめようではありませんか。

「人はその試練に耐えた強さだけ成長する」という言葉があります。

「耐える」ということについて、囲碁(いご)のプロ棋士(きし)の話をします。

ある時、師がプロを目指している弟子を叱(しか)っている場面に出会いました。

叱られているお弟子さんは、後輩に負け成績が落ちて追い抜かれ、たいへん落胆をしていました。

師は、彼の顔を覗(のぞ)き込むようにして問いました。

「ねえ、君、辛いか?」

俯(うつむ)いたまま返事をしません。

すると、

「辛いわけないよね。君は好きな道を選んだのだからね。本当に辛いと思うならば、やめてしまいなさい……」

たったこれだけの言葉でしたが、辺りに緊張感がみなぎりました。

どのような道であっても、一つの道を極めていく上には、たくさんの難関があり、しかも、並大抵の努力では叶いません。たぶん、師は彼に対して、いま味わっている口惜(くや)しさ、辛さに耐え、負けを肥(こ)やしにして、さらに大きく飛躍してほしい、という思いを込めての慈愛の叱責(しっせき)であったのではないでしょうか。

もちろん彼の選んだ道は、何よりも大好きな道です。

負けた口惜しさをバネにして、その後、彼は見事に難関を突破し、プロ棋士になったことは言うまでもありません。

苦悩多きこの世の中で、すべての出来事を能(よ)く忍び、夢を持ち、何事も喜びに思いを変え、それぞれの人生の花を立派に咲かせることが出来るよう、日々努力、精進(しょうじん)したいものです。

 

『生きるとは』―― 悩める人に届けたい34のメッセージ―― 「花のように」より