明日への指針「キャリアアップと自分探し」

凧(たこ)と糸

企業における正規社員と非正規社員との間の格差(かくさ)が叫ばれています。

しかし、フリーターと称する人たちを含めての若い非正規社員の場合は、多少問題が違うケースがあるのではないでしょうか。

真剣に仕事をしたくとも、なかなか正規社員になれない人たちがいる中で、特に若者たちの中には、自ら正規社員になることを拒(こば)んでいる者もいることは事実です。

理由は色々あると思います。

正規に就職したものの上司や同僚とうまくいかない。あるいは自分の思っていたような仕事ではなかった。「キャリアアップ出来る環境を与えろ」と口を開けて待つ。与えてくれないなら会社を変えればよい、などと簡単に転職をし、その結果、正規の仕事に就(つ)かない。

「自分探し」とか理屈をつけて転々と仕事を変えますが、これが「自分探し」の実像ではないでしょうか。

束縛(そくばく)はいやだ、自由でありたいと、何につけても辛抱(しんぼう)することを教えられていない若者たちの中には、正規社員になることを自ら避けている人もいるのでは、という気がします。

もっとも親から援助を受けたり、親の家に住んでいる分には、フリーターでも充分生きてゆけるし、気が楽ということです。

これでは格差が出ても仕方のない一面があるのではないでしょうか。

今の若者たちは、兎角(とかく)自由でありたいと願うようですが、自由とは、気ままに、やりたい放題にするということではありません。

本当の自由とは、相手の自由も尊重し、かつ、常に自己の責任と義務が生じるという自覚を持った上で得られるものではないでしょうか。

平成十五年五月十五日の産経新聞の「朝の詩(うた)」に、千葉県の宮川優さんという方の、

凧(たこ)が空高く飛べるのは

誰かが糸を引っぱっているから

でも凧はその糸さえなければ

もっと自由に空を飛べると思っている

その糸がなければ地上に落ちてしまうのも知らずに

という詩が掲載されていました。

先ほども述べたように、ともすると私たちは何の束縛も遠慮もなく、心の赴(おもむ)くままに、したいことが出来るのが自由だと錯覚(さっかく)しがちです。

しかし私たちは、自由気ままに一人では生きてはいけません。

何故なら社会の一員として、大勢の人たちと繋(つな)がり合って生きているからです。

大勢の人たちの中で生きて行くためには、色々な制約があるのは当たり前です。

法律に始まり、道徳、マナー、社会の一員としてのなすべき種々の義務、ルールなど、どれ一つ欠けても、円満な社会は構成出来ません。

こうしたものが私達にとっての凧の糸といえます。

この糸は、確かに自由を縛るように見えますが、重く、きつい糸に縛られているからこそ、凧は空に舞うことが出来るのです。

私たちもこうした糸に縛られているからこそ、より良い人生を歩むことが出来るのではないでしょうか。

難有(なんあ)って有(あ)り難(がた)い

人生を送る中には、多くの不条理なことや、辛く、悲しく、苦しいことに出遭います。

挫折(ざせつ)、絶望、愛する人との別れ等、辛い出来事に遭遇することはいくらでもあるものです。

しかし、こうした経験があってこそ、糸で繋(つな)がれた世間の中で、他人の苦しみ、悲しみを理解することも出来るのではないでしょうか。

命の尊さ、健康の有(あ)り難(がた)さ、平々凡々(へいへいぼんぼん)の毎日に幸せを感じたり……。

何よりも私たちにとり、辛く、悲しく、苦しいことなどは、すべて自分にとって大切なことであったのだ、と気づき、心から感謝する日が必ず来ると思います。

こうした糸に縛られていればこそ、私たち人間という凧が、天高く舞い上がり、真の喜びと幸せを味わうことが出来るのです。

私は日頃から信徒に「難有(なんあ)って有(あ)り難(がた)い」という心構えを持つことが大切である、と説いています。

人生には色々な苦難がありますが、如何(いか)なる苦難も決して逃げることなく、それらはかえって自分を強く、逞(たくま)しく成長させてくれる糧(かて)と受け止めましょう。

「難有って有り難い」という強靱(きょうじん)かつ柔軟な心を持つよう、心懸(こころが)けたいものです。

 

『生きるとは』―― 悩める人に届けたい34のメッセージ―― 
「キャリアアップと自分探し」より